こんにちは、shunです。
昨日4月7日は僕の27回目の誕生日でした。
本当は誕生日当日にこの記事を公開したかったのですが。
僕を生み育ててくれた両親には本当に感謝しています。
20代中盤くらいから、誕生日を迎えるたび考えていたことがあります。
それは「自分は何のためにこの世に生まれてきたのか」ということです。
今回は少し重いテーマです(笑)
自分はまだまだ若いですし経験も少ないですが、現時点で自分が思っていることを気ままにお話ししてみようと思います。
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いろいろな経験や感情を味わいに来た
生きている間にはいろいろなことがあります。
楽しいことだけでなく、嫌なこと辛いことも。
どちらかというと嫌なことのほうが多いかもしれませんね。
でもポジティブな感情だけでなく、ネガティブな感情も生きている間にしか味わうことができないのです。
まあ僕は、もう嫌というほどネガティブを味わいつくしたので、これからはほどほどでいいですが(笑)
ただ今は、「苦しみがあるからこそ、幸せを感じられる」と思っています。
幸せしかなかったら、それが幸せなのか分かりませんしね。
経験にしてもそう。
いろんなことにチャレンジして経験を積むことで、より人生への満足度が上がるのは、人間がそのようにプログラムされているからではないか、と思えてなりません。
僕は20年以上、積極的に人生を生きてきませんでした。
自信がなくて、いつも何かに怯えていて、受け身の人生に甘んじていました。
「自分からあれこれやらなければ、失敗することもないし傷つくこともない。」と。
その結果、僕の人生はどんどん惨めなものになっていきました。
なにもせず立ち止まっているだけだと、決して幸せを感じることはできません。
動き回っているとしても、自分で考え決断して動いていないと幸せを感じられません。
他人の敷いたレールの上を歩くのは快適かもしれません。
しかし何も考えずその上を歩いていると、行き着く先は深い後悔だけでしょう。
死ぬ間際になって後悔しても遅いのです。
人生は一度きりですし、短いです。
僕もまだまだ子供のつもりが気付いたら27ですからね(笑)
20年以上主体的でなかったですが、後悔はしていません。
今は人生の主導権を自分で握っている感覚がありますし、心の声に従ってやりたいことをできていると感じるからです。
20代のうちに気づけただけラッキーです。
気付くタイミングは、死ぬ間際でなければいつでも遅くないと思います。
気付いた時点からやり直せるのですから。
心の声に従う大切さ
僕が20年以上、積極的に自分の人生を生きられなかったのは、他人の目を異常なほど気にしていたからです。
自分の心の声が、いくら「これやりたい!」と言ってきても、「いや、そんなことをしたら変な奴だと思われる。」なんて考えてしまうのです。
まるで無邪気な子供を押さえつけ、好奇心を奪い取っているようです。
いつだって好奇心旺盛な自分は存在して主張しているのに、常識とか変な価値観でそれを抑え込んでしまう。
誰にでも多少はこういった経験があると思います。
でも決してあなただけの責任ではないです。
常識や価値観というのはそもそも、周囲の人々や社会によって植え付けられるものだからです。
しかし本当の気持ちを抑え続けていると、やがてその好奇心旺盛な自分も諦めてしまいます。
「いくら言ってもどうせ聞いてくれないや。」って。
こうやって多くの人は自分の人生を諦めたり、鬱になったり、最悪の場合自殺を選んでしまうのでしょう。
そうなる前に「本来の自分」を取り戻して欲しいのです。
僕は今かなり取り戻しつつあります。
本来の自分は、何にも制限されない、自由で美しい存在であるはずです。
本来の自分でいるとき、私たちは「今」だけに集中し、大きな幸せを感じることができると思います。
ジョン・レノンが教えてくれたこと
そうは言っても、長い時間をかけて刷り込まれてきた考え方を変えるのは容易ではありません。
そりゃあ人目を気にしてしまうこともあります。
そんなとき僕はいつも、ジョン・レノンのこの言葉を思い出します。
「こうすればああいわれるだろう。なんていうくだらない考えのせいで、どれだけ多くの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。」
僕はビートルズが大好きで、もちろんジョンのことも大好きです。
彼は本当に、自分の心の声にしたがい自分を表現していたと思います。
でなければ、オノ・ヨーコとの裸ジャケットなど発表できないでしょう(笑)
それは極端な例としても、今よりももっと保守的だった時代に、さまざまな場所からの圧力に屈せず、反戦と人種差別撤廃を訴え続けた彼。
批判されても決して自分の信じるものを曲げない。
彼の音楽的才能のすばらしさはもちろん、周囲の意見など全く気にせずに自分を表現する姿勢には惚れ惚れしてしまいます。
自分もこうなりたい、と思わせてくれます。
彼だけでなく自由に生きて、自由に自分を表現している人に対しては、誰もが憧れを抱くでしょう。
僕は彼の言葉を胸に刻み、日々やりたいことをやるようにしています。
人にどう思われるかとか、恥かいたらどうしようとか、そんなこと死ぬ間際になったらどうでもよくなるはずです。
いやむしろ、ものすごい失敗をしたとしてもたった数年後には笑えることのほうが多い気がします。
だからそんなことを気にして行動しないのはあまりにもったいない。
若ければ若いほどいろいろなことを気にしてしまうかもしれないけれど、勇気を出して一歩踏み出すことで自由を感じ、一気に世界が広がると思います。
魂を磨きに来た
最後に「魂」について書いてみます。
これは書こうか悩みました。
宗教的に受け取られたり、スピリチュアルすぎるかなと思ったので。
僕は特定の宗教を信じているわけでも、変なスピリチュアルセミナーに入れ込んでいる訳でもありません。念のため(笑)
でも今回は自分の考えをすべてさらしてみようと思います。
私たちの人生の中で、必ずつらいことや苦しいことが起こります。
でもそれは魂を成長させるチャンスなのです。
苦しみがないと人は成長しなくなってしまいますからね。
でもそれがチャンスだと気付かずに逃げてばかりいると、何度も同じ苦しみを味わうことになってしまいます。
今世で逃げ続けたとしても、来世でもっと大きな苦しみとしてやってくるだけです。
(僕は100%生まれ変わりを信じている訳ではないですが、あってほしいなとは思います。)
苦しみに正面から向き合って、全力で乗り越えなければいつまでたっても何も変わりません。
ちなみに輪廻転生の考え方によると、苦しみから逃げるために自殺するのが最もやってはいけない行為らしく、結局とてつもない苦しみを味わうそうです。
僕がこういった考え方をするようになったのは、この2冊に出会ってからです。
2冊ともアメリカの精神科医によって書かれた、実在の患者さんをベースにしたノンフィクションです。
この2冊で僕の死生観はかなり変わりました。
そして、より人生について深く考えさせられました。
僕が好きなのは、「肉体は死んでも魂は決して死なない。死とは単に魂が肉体から離れるだけだ。」という考え方です。
フィクションと考えて読んでも十分おもしろいと思います。
特に2冊目のソウルメイトの話なんか、映画化できるんじゃない?と思うほどです。
(もしかしたら実際にされているかもしれませんが。)
ちなみにこの本のことを知ったのは、以前「アンビリバボー」という番組で輪廻転生の特集があり、それがYouTubeに上がっていたので見てみたのがきっかけです。
僕もいろいろな自分の問題に向き合い、取り組んできました。
例えば自分のネガティブさや心の弱さ。
以前ははそんな自分の性質を恨んでいました。
「なんで自分ばかりこんなに苦しまないといけないんだ。」って
なんでもネガティブにとらえてしまう自分が大嫌いでした。
でも今はそのネガティブにも感謝しています。
苦しみがあったからこそ、自分のために本気で心理学や脳科学の知識を学び、結果的にかなりの知識を身に付けることができたからです。
今はその知識を、自分のためだけでなく他の人の役に立たせることもできます。
苦しみすらギフトであると思います。
もしかしたら自分の経験から得た知識で、他の人たちの人生が好転するのをお手伝いするのが自分のミッションなのかな?と思ったりもします。
まだ自分のミッションを見つけられたとは思っていませんが、現在は人と直接関わって学びをお手伝いする仕事をして満足感を感じられています。
あと、少し前から自分で感じていることは、自分は生きている間にもっと愛することと信頼することを学ばねばならない、ということです。
最近はだいぶ改善されたものの、ずっと人間不信気味で生きてきたので。
愛することも、信頼することも、心の弱い人間にはできないことです。
だからこそもっともっと精神的に成熟して、今世でできることをすべてやってから死を迎えたいと思っています。
これからも困難は立ちはだかってくるでしょうが、すべて魂を成長させるチャンスと捉えて頑張っていきます!
おわりに
今回はだいぶ好き勝手に書かせてもらったので、少し読みにくかったかもしれません。
全く共感できない部分も多々あったかもしれません。(特に最後の章など)
今回の記事は自分の中でかなり優先度の高いことについてお話ししたので、つい熱くなってしまいました。
ですが人間として生まれてきた以上、こういったことを考える時間は必要なのではないかと思います。
誰しもいつかは死を迎えます。
死の淵に立った時、何の後悔もなく「人生最高だった。本当に楽しかった。」と思いながら旅立てるよう、自分の心に従いながら日々全力で生きていこうと、改めて思えた誕生日でした。
ありがとうございました。